2012年2月10日金曜日

日本の地域  一 現状

昨年の宮城県気仙沼大島での自分の活動については、これまでも何度か書いている。今回は、その活動を通して見えた日本が直面している3つの問題、すなわち、日本社会における統治の在り方、人々の営みの存続性、我々の人間像について若干の考察を述べたい。

一 現状
 上記の3つの問題について、日本の体制と地方の高齢化の問題、震災と原発報道をめぐる人々の言動から考察していく。

中央集権統治体制の限界
3.11以後、宮城県気仙沼市大島の人々は、一人一人が自分なりに仕方で震災後の生活と向き合っていた。ある者はおばか隊として物資運搬や瓦礫撤去を行い、ある者は民宿を再開し、ある者は仙台や東京に出稼ぎに行き、ある者は勉学に励んだ。全ての人が、その時自分にできることをしていた。
 そうした現場の方々が奮闘している一方で、県や市の対応に歯がゆさを感じる時もあった。現場を一目見れば、今何が必要なのかは誰でもわかる。しかし行政組織は上からの指示が無ければ動けない。例えば、気仙沼の中心的産業であった漁業の復旧を早く進めて欲しいという声を多く聞いた。そのためには水質調査や港湾工事を行う必要がある。しかし数ヶ月が過ぎても現状は変わらない。なぜかと対策本部の人に聞くと、気仙沼市の方針が決まらないと漁港の復旧工事ができないという事情だった。そこでいつ頃方針が決まるのかを市役所に確認したところ、県漁協や政府の方針が決まらないと自分達も動けないと答えた。このように必要な指示が下されるのに時間がかかり、ようやく届いてもその指示が的外れであることや、状況が変わっていた場面も多々あった。これは、個々人の資質の問題というよりは、意思決定権者と現場の距離が離れすぎていることが問題なのだ。
 3.11が明らかにしたことは何か。それは、明治維新以来の「富国強兵」「中央集権」モデルの限界である。『坂の上の雲』で描かれた様に、日本は西洋列強に伍する国になるために、人や資金などの資源を東京に集中させ、一点突破を図った。その極点が日露戦争での勝利である。その後も太平洋戦争時に総力戦体制を構築し、戦後は安保条約の下で経済成長に邁進し、経済大国をつくり上げた。行政においても中央官庁が主導し、地方行政はその実行機能を担った。しかし、戦後日本社会が抱える問題は複雑化し、中央集権体制ではその状況の変化に対応できない。すなわち、日本社会は統治体制の危機が生じていたのである。

人々の営みの存続の危機
一方で、高度経済成長期には東北から若年層が移住ないしは出稼ぎとして都市に流入した。バブルを経て時期により変動はあったものの、今でも高校や大学を卒業した後は地元に残らず東京等に出て仕事を見つける人々が多い。その結果、東北の高齢化率は増加し、東北地方全体で25%強、沿岸部では35%を超える地域もある。そして震災によってさらに人口流出が加速した。
今回気仙沼市大島の世帯を全戸訪問したことで、高齢化、独居世帯の割合の高さを肌身で感じた。大島の高齢化率は38.5%であり、全国平均の22.7%(平成21年統計局)に対して1.7倍である。また独居世帯の割合は17.5%5世帯に1世帯近くが独居生活者である。それ以外にも老夫婦2人で暮らしている世帯も非常に多い。こうした世帯は震災前から日々の生活や病院通いに困難さを感じていた。それに対して福祉、介護サービスは不足気味であり、高齢化社会を支える仕組みづくりは遅れていた。
 地方で進行している事態として、限界集落という現象がある。小さな農村などで高齢化が進み、若い世代がほとんど流出してしまい、このままでは集落が無くなってしまう見込みにある地域だ。こうした地域では、人々の生活の営みが忘却されていく。都市化と少子高齢化が同時に進行したため、その流れは2倍速で進んでいった。すなわち、人々の営みの存続の危機である。

前近代的な日本人
 震災と原発をめぐる人々の言動は、日本人のメンタリティを浮き彫りにした。まず、原発事故をめぐる人々の対応の一部にも、疑問を感じた。度々見られた言論として、「政府や東電に騙されていた」と主張する人々がいる。しかし、騙されたと言えば、騙された人間の責任は無くなるのか。原発が悪いというならば、原発の建設が進められてきたのと同じ時代に生きていた以上、その是非を主体的に考える事なく、原発に暗黙の承認を与えていた同時代人の誰しもに一定の責任があるのではないか。ここで私は原発自体の是非を言っているのではない。福島や他の地方に原発設置を押し付けておいて、事故が起こった途端、「東電に騙されていた。私は反原発だった。」というという発言をして自らを省みない精神構造の問題を言っている。
なぜなら、日本にはつい何十年前に全国民が「政府、大本営、新聞に騙された」と騒いだ歴史があるからだ。映画監督の伊丹万作は、終戦後、戦争責任について次のように述べている。「つまりだますものだけでは戦争は起らない。だますものとだまされるものとがそろわなければ戦争は起らないということになると、戦争の責任もまた当然両方にあるものと考えるほかはないのである。そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになってしまっていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである[i]」。
こうした人々の責任感の希薄さは、戦争中に最も災厄をもたらした。丸山眞男が「無責任の体系」と指摘した現象である。人々の主体性の欠如は戦争指導者にまで及んだ。丸山は三国同盟でイニシアティヴをとった駐独大使の大島浩の弁明を例にあげ、「ここで問題なのは、自ら現実を作り出すのに寄与しながら、現実が作り出されると、今度は逆に周囲や大衆の世論によりかかろうとする態度自体なのである[ii]」と指摘した。また開戦時の外務大臣だった東郷茂徳は、三国同盟についての賛否を問われて、「私の個人的意見は反対でありましたが、すべて物事にはなり行きがあります。すなわち前に決まった政策が一旦既成事実になった以上は、これを変えることは甚だ簡単ではありません、云々[iii]」と東京裁判で述べている。これと同じ精神の構造を、未だ日本人は引きずっている。伊丹は「一度だまされたら、二度とだまされまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。(中略)現在の日本に必要なことは、まず国民全体がだまされたということの意味を本当に理解し、だまされるような脆弱な自分というものを解剖し、分析し、徹底的に自己を改造する努力を始めることである[iv]」と述べた。
 前述した主体性の希薄さは、言論の合理性の欠如に帰結する。なぜなら、傍観者は実効性など念頭に置くこと無く感情論で語ることが許されるからである。「がんばろう日本」という、震災後メディアや企業により叫ばれていたスローガンがそれを表していた。確かに東北の人々が「がんばっぺ気仙沼」というのは主体性を感じられた。しかし「がんばろう日本」と言っているのは主に東京の人々で、東北の人たちは使っていなかった。その場所にいない人々が単なるかけ声として言うことは無意味である。
こうした精神論的スローガンには、なにか旧日本軍の「必勝の信念」に近い意識が感じられる。旧日本軍も、太平洋戦争における軍事戦略の不在を精神論で埋めようとした。また当然中止すべき作戦も、情に流されて意思決定が遅れた[v]。一兵卒として戦争に参加した司馬遼太郎は、軍部への疑問と怒りを感じていた。作家の辻井喬は、司馬遼太郎の『坂の上の雲』には隠れたテーマとして昭和の軍部批判があるとし、司馬が軍事指導者の戦略戦術性の欠如や過度の精神主義を強く批判していると指摘する[vi]
日本は、真の意味での下からの革命を経験していない。よって、根底の意識は、未だ前近代的な人間像に留まっているのだ。










[i]  伊丹万作.『伊丹万作エッセイ集』.筑摩書房,(2010),97p.
[ii]  丸山眞男.『現代政治の思想と行動』.未來社,(2006),107p.
[iii]  丸山眞男.『現代政治の思想と行動』.未來社,(2006),108p.
[iv]  伊丹万作.『伊丹万作エッセイ集』.筑摩書房,(2010),98p.
[v]  野中郁次郎、他.『失敗の本質』.中央公論新社,(1991),268p.
[vi]  辻井喬.『司馬遼太郎覚書『坂の上の雲』のことなど』.かもがわ出版,(2011),69p.

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