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2013年4月20日土曜日

フーコーとパレーシア

 弁論術を駆使できることは必要である。しかし、真理を語るべき状況では、それを語らなければならない。

  「パレーシアがあるためには、真理を語る際に、相手に不愉快な思いをさせたり、相手をいらだたせたり、相手を怒らせたり、極端な暴力へと至ることもあるいくつかの行いを相手の側に引き起こしたりするリスクを開き、それを設定して、それに立ち向かうことが必要なのです。したがってそれは、暴力のリスクを冒す真理です。たとえばデモステネスは、『ピリッポス弾劾第一演説』のなかで、自分は率直に語ると言った後で、次のように付け加えます。すなわち、そのように率直に語る際、自分が口にしたことによって自分の身に何が怒るかわからないということが、私にはよくわかっている、と。」
 「すなわち、パレーシアはある種の形態の勇気を含意するということです」
 「つまり、真理を語ろうとするとき、話し相手との個人的な友好関係を危うくするだけでなく、自分自身の生命を危険に晒すことさえあるということです。」
 「パレーシアステースが万難に打ち勝って真理を語ることで自らの勇気を示すならば、そのパレーシアが差し向けられる者の方は、自分に対して真理が語られるのを受け入れられることによって自らの魂の高潔さを示さなければならないという協定、リスクを冒して真理を語る者とその真理を聞くことを受け入れる者とのあいだのこの種の協定が、パレーシア的ゲームと呼びうるようなものの核心にあるのです。
 したがって、ひと言で言うなら、パレーシアとは、語る者における真理の勇気、つまりすべてに逆らって自分の考える真理のすべてを語るというリスクを冒す者の勇気であると同時に、自分が耳にする不愉快な真理を真であるとして受け取る対話者の勇気でもあるということになります。
 ここから、パレーシアの実践が、弁論術の技法のようなものと完全に対立するということがおわかりいただけるでしょう。非常に図式的に言うなら、古代において定義され実践されていたようなものとしての弁論術は、確かに、語り方にかかわる一つの技術ですが、しかしそれは、語る者と彼が語る内容とのあいだの関係を全く定めることがありません。弁論術とは、それによって語り手が、自分が考えていることとはおそらく全く異なることを語りながらも、その結果として、相手にいくつかの核心を生じさせ、いくつかの行いをもたらし、いくつかの信念を打ち立てさせることになるような、技法、技術、手続きの総体のことです。別の言い方をするなら、弁論術は、語る者が自分の言表する内容を信じてそれに結びつけられることを全く必要としてはいません。よき弁論家、よき弁論術教師とは、自分が知っていたり信じていたり考えていたりするのとは全く別のことを語りながら、自分が語ったその内容、自分が信じてもいないし考えてもいないし知りもしないその内容を、自分が語りかける相手に考えさせたり信じさせたり知っていると信じさせたりすることのできる者のことです。弁論術において、語る者と彼が語る内容とのあいだの絆は断ち切られていますが、しかし弁論術は、語られたこと、それが差し向けられる相手とのあいだに、拘束力を持つ絆を打ち立てるのです。おわかりいただけるとおり、この観点からみて、弁論術はパレーシアの正反対です。パレーシアが含意するのは逆に、語る者と彼が語る内容との間の協力で明白な絆の設立です。というのも、語る者は自分の考えを表明しなければならないからであり、パレーシアにおいては自分が考えていることと別のことを語ることなど問題外であるからです。したがってパレーシアは、語る者と彼が語る内容とのあいだに強力で必然的で構成的な絆を打ち立てますが、しかし語る者と語りかけられる者との絆については、これをリスクのかたちで開きます。というのも、結局のところ、語りかけられる者は常に、語られる内容を受け取らないこともできるからです。彼は、それを不愉快に感じるかもしれないし、それを拒絶したり、しまいには自分に真理を語った者を処罰したり、その者に大して復讐したりするかもしれないということです。弁論術は、語る者と語られる内容とのあいだの絆を必要とせず、語られる内容とそれが差し向けられる者とのあいだの高速的な絆、権力の絆の設定を目指します。これに対し、パレーシアは逆に、語る者と彼が語る内容とのあいだの強力で構成的な絆を必要とし、語ると彼が語りかける相手とのあいだの絆が断ち切られる可能性を、真理の効果そのものによって、真理の不愉快さの効果によって開くのです。非常に図式的に次のように言うことにしましょう。弁論術教師は、他の人々を拘束する有能な嘘つきである、あるいは完全にそのようなものでありうる。これに対し、パレーシアステースは逆に、自分自身を危険に晒し、自分の他者との関係を危険に晒すような真理を、勇気をもって語る者であるだろう、と。」
  「すなわち、人々を統治することを可能にする合理的な言説と、強者の不正を非難する弱者の言説です。この組み合わせは非常に重要なものです。というのも、その組み合わせが政治的言説の母型を構成することになり、その過程でそうした組み合わせが再び見出されることになります。実は、ローマ帝政の時代、統治についての問題が提起された時、そしてそうした統治がひとりの君主の手に委ねられ、その人の賢明さが政治的行為における絶対的に根本的な要素ということになった時、その最高権力者である人は、ロゴス-つまり理性であり、合理的なことを語り、思考する仕方ですが-を用いることができなければならない、とされるようになります。しかし、その言説を支え、基礎づけるために、それを導き保証してくれる存在として、彼は他者の言説を必要とするのですが、その他者というのは必然的に最も弱い者、そうでなくとも彼よりも弱い者ということになり、また彼に立向かい、必要とあれば、彼がどんな不正を犯そうとしているかを言う危険を引き受ける者でなければならないのです。強者の不正について語る弱者の言説は、強者が人間理性にももとづいた言説によって人々を統治するための、必要不可欠な条件なのです。」
  「そして、その人間は、何をしなければならないのか。まさにその彼こそが、場合によってはたった一人で、誰の助けもなしに、理性の名において一人で語り、人々に率直に真実を語るのであり、その真実とは、人々を説得し、各人がしかるべく振る舞うように彼らを説得するような真実なのです。(中略)理想国家や、完璧な秩序や、可能な限りきちんと育てられた官吏たちや、まさしく適切に果たされているそれらの機能がいかに存在しようと、市民たちが国家の秩序内でふさわしく振る舞い、国家が存続するために必要な一貫した組織を彼らが構成するためには、その上の何かが必要なのです。誰かが市民たちに完全な率直さをもって語りかけ、理性と真実の言葉を持ち、それによって彼らを説得しなければならないのです。(中略)すなわちパレーシアとは、国家が統治されるために必要とされるものなのですが、また同時に、国家において、その市民たちがいかに良く統治されていようとも市民として正しくあるために、その魂に働きかけるべきものなのです。」

ミシェル・フーコー.『ミシェル・フーコー講義集成12 コレージュ・ド・フランス講義1982-1983年度 自己と他者の統治』.筑摩書房,(2010)
ミシェル・フーコー.『ミシェル・フーコー講義集成13 コレージュ・ド・フランス講義1983-1984年度 真理の勇気 自己と他者の統治.筑摩書房,(2012)




2013年3月2日土曜日

What is the implication of「Heisei」period?

-We Postponed problems and let people fail
  “Heisei is the period that we refuse to recognize reality.  We spend a bunch of subsidy and effort to postpone problems.”

  「Heisei-shi」, written by Oguma Eiji and other describe how Japan’s social structure transformed in recent 20 years. They consolidated these history in 6 angles: politics, city and local, social welfare, education, information, and international environment and nationalism. 

  Oguma’s perspective is that there are two worlds in Japan in terms of social welfare. On the one hand, government employees, big companies and famers live in Corporate-Statist world. On the other hand, non-regular employee, especially women and young worker live in Liberal world. In that case, welfare system become stiff as well as gap between rich and poor will become bigger.

  According to Andersen, there are three main types of welfare state.
 1.      Liberal (ex. USA): Value on individual responsibility and social welfare will be offered in market.
 2.      Corporate-Statist (ex. Germany): Family, company and local region protect worker and their family.
 3.      Social democratic (ex. Sweden): Government provide social welfare as standard human right.

  Yuko Iijima described about “young homeless” in her recent book. Most of them are in their 20’s and 30’s.  These “young homeless” people are the one of the ramification of structural change during Heisei period. What’s worse, this is not exceptional case.

  We have been hesitated to face the fact that we cannot get back previous Japan during rapid economic growth because both enternal and internal conditions have changed. However, we should recognize results which were happened in Heisei period.


-「先延ばし」と「漏れ落ちた人々」-
  "「平成」とは、1975年前後に確立した日本型工業社会が機能不全になるなかで、状況認識と価値観の転換を阻み、問題の「先延ばし」のために補助金と努力を費やしてきた時代であった”

  小熊英二による『平成史』は、この20年でいかに日本の社会システムが変容したのかを描いている。小熊による総説を始めとして、政治、地方-中央関係、社会保障、教育、情報化、国際環境とナショナリズムという章立てからなる。

  小熊は、日本の社会保障は2つの世界があるとみる。公務員と大企業の社員、農民は保守主義レジームに近い世界に住んでいる。他方で非正規雇用労働者、また女性や若い労働者などは自由主義レジームに近い世界に住んでいる。その結果、産業が硬直化するという保守主義レジームの特徴と、失業率は低いが格差が増大するという自由主義レジームの特徴が現れる。
 
 これはアンダーセンによる福祉レジームの3類型である。自由主義レジーム(アメリカ):自由主義と個人責任を重視する。 社会民主主義レジーム(北欧):基本的権利として全員保障がなされる。保守主義レジーム(独仏、南欧);家族・企業・労組・地域など共同体を重視する。

 そうした2つのレジームの狭間で、社会保障システムから「漏れ落ちた人々」がいる。飯島裕子は『若者ホームレス』で20代から30代で路上で生活せざるをえなかった人々について書いている。このような若者ホームレスは、平成という時代の変化がもたらした結末の一つなのだ。残念なことに、こうした人々は少数の例外ではない。

  我々は、高度経済成長期の日本には戻れないという現実に直面することから逃げてきた。過去の繁栄を可能にした冷戦体制や豊富な低賃金労働力などの外的内的環境が変化しているにも関わらず。我々は、現実を認め、変化がもたらした帰結に向き合わなければならない。


参考資料
[小熊英二編著.『平成史』.河出書房新社, (2012),p82]

[飯島裕子.『若者ホームレス』.筑摩書房, (2011)]
[工藤啓.『大卒だって無職になる “はたらく”につまずく若者たち』.エンターブレイン,(2012)]
[小熊英二.「社会を変えるには」.講談社,(2012)]
[湯浅誠.「ヒーローを待っていても世界は変わらない」.朝日新聞出版,(2012)]
[山下祐介.『限界集落の真実 過疎の村は消えるか』.筑摩書房, (2012), 214p]

2012年12月15日土曜日

自民党の憲法改正草案について


 小難しい法律の話になりますが、選挙前に一考して頂ければ幸いです。

 自民党が作成した憲法改正案が各所で話題になっています。大小の変更点はありますが、一番重要なのは憲法の本質が変わっていることです。草案では、憲法の主体が「国民」から「国家」になり、「国民が人権を保障するために国家に遵守させる法」から「国家が規定した公益又は公の秩序によって国民の人権が制限されることを正当化する法」になります

詳細は下記のサイトにて良く解説されているので、一読して頂きたいです。

自民党憲法草案の条文解説

より詳しく勉強されたい方は芦部憲法をお薦めします。

2012年9月1日土曜日

列島8000万の日本


1.    列島8000万の日本
先日、高校の同級生が東北に行くにあたり何かアドバイスはあるかと聞かれたので、入る際の心構えや訪れて欲しい場所、事前に読んでおいた方がよい本などを伝えました。僕も改めて資料を調べている中で、今年の5月に出た小熊英二と赤坂憲雄共同編著の『「辺境」からはじまる-東京/東北論-』(明石書店)を読みました。これは東京と東北の関係性という視点から様々な問題点を浮き彫りにした力作でした。特に、巻末のお二人の対談は震災後の見取り図をつかむために最良の文章です。
その中で小熊が、東北の一次産業は震災前から後継者不足で立ち行かない現状だったことを踏まえ、東北沿岸の地域に関しては、「20年持たせるコミュニティづくり」という視点で捉える必要があると述べていたことが印象に残りました。なぜなら、20年の間に、そこにいる人口は大きく減少し、コミュニティの構成員も多く変化するからです。確かに僕が気仙沼にいた時、80代の老夫婦世帯が非常に多かったことを覚えています。
日本全体でも、2060年、今から約50年後には日本の人口は約8000万人になると予測されています。その時僕は72歳になります。つまり僕が働いている時代は常に人口減少が続きます。そうであるならば、列島8000万人の日本になることを前提とし、その時にどんな日本にしたいかを考えた上でこれからの働き方を決める必要があります。
それにしても、約5000万人の人口減が所与とされた条件下では、経済成長など夢物語になるでしょう。頑張れば皆が「豊か」になるという物語が信じられなくなった時代に、いかなる物語ならば人が生きていけるのか、この問いをさらに考えていきたいです。



2.    横の連携
先日8/4に開かれたETIC. caféに参加してきました。目的は、復興支援関係者の話を聴く中で、ここ5~10年の自分の役割を問い直してみることでした。印象に残った点は、藤沢烈さんのおっしゃっていた、「住民、行政、企業、NPOなどの枠を超えた横の連携が重要になってきている」ということでした。
この「横の連携」に対しては、自分も将来なんらかの形で貢献したいと思っており、今企業で働いていることもいずれ繋がることになると考えています。また2030代の副市長の活躍についても述べられ、非常に刺激を受けました。

それにしても、会社勤めを始めると、思っていたよりも時間を割かれ、自分自身の勉強に使える時間がほとんど無くなってしまいます。その中でもなんとか時間を捻出して勉強を継続していきたいと思います。


2012年3月24日土曜日

Principles

This summarizes my principles during student days. These principles have driven me in my university and social activities.

PRINCIPLES
1.    Do the right thing.
This is the most important yet the most difficult thing. I’m sure that if I do something unacceptable, it will be revealed sooner or later. And when I realize that I made a mistake, it is better to say, “I’m wrong”. What's more, it is one of the best criteria for decision making. 

2.    Face difficulties.
I had a compulsory study of micro and macro economics in university. However, I could not get it even after taking the exam three times, because of my laziness. I was almost dropped from the college. At the last moment, I decided to tackle it. I started to take a basic math class. At the end of every class, I asked the professor the points that I couldn’t understand. I studied with freshmen when I was a junior. Once, a cute girl laughed at me. “He asked too many questions”, she said. It was a terrible time for me. Nevertheless, it was necessary for me to overcome these difficulties. If I had run away from this situation, I would have given up on everything. Fortunately, I finally got AA-grade in micro economics and A-grade in macro economics. Hence, we should keep in mind that it will get worse, before it gets better.  

3.    Stretch myself.
I have assigned several positions that exceed my capacity especially at OVAL, in Tohoku, and other activities. I have tried to meet others expectations and it certainly did stretch my capability.

4.    Discipline myself.
Studies in university are more important than I had expected. Self-learning is also crucial for me. Keep learning, don’t settle.

5.    Differentiate myself.
I have been pursuing my specialty. Find out what you are good at, and develop it.

6.    Be comprehensive.
I have poked my nose into a few areas where I knew little: they are business, NPOs and government. I learned about business at OVAL and will learn in P&G. I worked at NPOs or similar organizations at WISE, ETIC, and Tunapro in Tohoku. I also considered working as a bureaucrat and studied law for the exam. These experiences enable me to have several viewpoints.

7.    Decide it.
The only thing that has helped me make progress is decision making. Don’t think too much. Decide it and just do it.



2012年3月12日月曜日

Funding platform for creative projects

 Have you heard about crowd funding website? In this website, you can find and fund to creative projects, ranging from indies film, supporting NPO/NGO, technology, etc.  

                           http://camp-fire.jp/genkidama

  I am working as an intern for one of these crowd funding platforms in Japan called Genkidama Project, named after famous move in Dragon Ball. Currently, there are projects that support victims affected by Tohoku earthquake.

  These kinds of funding platforms have several benefits for both donor and project owner.

For donor
You can participate in these creative projects through funding.
You can get rewarded in exchange for pledging to a project.
You can share and recommend to your friends through social media about the project you want to support.

For project owner
You can raise funds for your project from minimum of ¥500.
You can promote your project through online platform and social media.
You can share your updates through the platform. 

 These types of platform stared recently and there are many issues we need to consider. One of the area we need to improve is a communication design in both online and offline between project owner and donor.







 クラウド・ファンドレイジング・サイトという言葉を聞いたことがありますか?こうしたサイトでは、個人が立ち上げた魅力的なプロジェクトに寄付し、プロジェクトの成功を応援することができます。プロジェクトには映画製作からNPO/NGOへの支援などがあります。
そうしたファンドレイジング・プラットフォームの一つである、元気玉プロジェクトに私はインターンとして2011年から参加していました。 
こうしたファンドレイジング・プラットフォームには、支援者とプロジェクト起案者の両方にメリットがあります。

支援者側
・プロジェクトを支援することで、そのプロジェクトの成功を応援することができます。
・支援に対して起案者側からお返しのギフトを受けることができます。
・気に入ったプロジェクトを友人に共有し、薦めることができます。

起案者側
・一口500円からオンライン上で支援を募ることができます。
・提案したプロジェクトをソーシャルメディアなどを用いて広く知らせることができます。
・活動報告をプラットフォーム上で行うことで、支援者と継続的な関係を築くことができます。

しかしこうした試みは始まったばかりであり、より改善すべき点もあります。特に、起案者が支援者とどのようにコミュニケーションを取っていくのか、オンライン上だけでなくオフラインで対話をする効果的な方法については、今後取り組める余地が多いと感じています。



2012年3月5日月曜日

日本の地域  六 所信


住民目線での地域自治
 私は住民自治を基本とした地域自治を自分の今後のテーマの1としたい。住民の方々と同じ目線で同じ場所で生活していた気仙沼大島での活動が、今後も自分の原点である。それを自分の核とし、住民目線で地域の在り方を考えていく。
 地域のありかたを考える上では、特に4つの分野について考えていきたい。それは、地域産業の活性化、NPOの活用、文化の継承、多文化共生である。
 地域産業の活性化は、地域の活力や雇用創出のために重要である。気仙沼で活動したことで、地域に根ざした企業活動の重要性を認識した。同時に自分には知識も経験も足りないことを痛感した。卒業後は会社で経営戦略を体系的に学び、その経験を活かして経営支援を行いたい。
 NPOの活用は、少子高齢社会を支えていくために必要不可欠である。3ヶ月の気仙沼での活動を通して、地域住民との協働の方法を学んだ。また同時にNPOという組織運営の現場での経験を得ることもできた。震災後の5月にはNPO法人ETIC.で震災復興プロジェクトにインターンとして携わっていた。ETIC.は日本のNPOの中間支援組織であるため、様々な分野で活動している方々との交流を持ち、NPOの活動を支援していく方法を学んだ。現在は元気玉プロジェクトという、一般の方々から少額の寄付を募ることで震災復興やクリエイター活動を支援するクラウドファンディングサイトの運営に関わっている。元気玉では人々からの支援という共感の集め方を学んだ。こうした経験を通して、地域のためにNPOを効果的に活用する方法を提案していく。
 文化の継承を通して、地域の文化資本を高めることを目指す。北辰一刀流剣術の稽古では、礼法作法も指導されるため、自然と正しい姿勢や目上の人への接し方が身につく。剣術を通して習ったことは、物の見方や考え方など、何かしらの形で日々の生活に変化を与えている。文化を学ぶことは、自己を向上させることに繋がるのだ。また、道場に通う人々は世代や職業が多種多様なため、普段の生活で接する人とは違う人とつながりをつくることができる。こうした経験を基に、文化を軸にしたコミュニティの形成に取り組んでいく。
 多文化共生では、日本中国韓国の学生によるビジネスコンテストOVAL運営の際の体験や、アフリカ系カナダ人の経営者の下で働いた経験から問題意識を持った。日本はまだまだ外国人が住むことへの敷居が高い。しかし、日本経済の活性化のためには、異なる価値観や知見を持った人に協力してもらうことが必要である。海外の学生と真剣な対話を重ね、日本に住む外国人の視点で日本社会を見た経験を生かし、両者が共存する方法を考案していく。
 現状では、私はこうした分野について未だ不勉強である。しかし、知識や経験がないことは、行動しないことの言い訳にはなりえない。たとえ私一人に出来ることが小さくとも、それでも自分の成すべきことは成したい。未来を創るのは私達であり、次の世代にどのような世界を受け渡すのかは、私達のこれからの行いに懸かっているのだ。




2012年2月21日火曜日

日本の地域  五 行動

ここまで述べたことを実現するために、具体的にどのようなことができるだろうか。ここでは案を挙げてみたい。

1      市区町村単位の中間支援組織
地域経営と対話の営みを促進するための着火装置として、市区町村単位での中間支援組織の設立を提案する。この組織は、最近ではまちづくり株式会社や、まちづくりNPOとしても知られている。東北では、県単位で岩手県、宮城県、福島県にそれぞれ復興連携センターがある。いわて復興連携センターでは、「地域住民による地域再生」をミッションとして掲げている[i]。活動内容は、「各種支援、助成情報の一元化と情報発信」、「地域住民のできる、やってみたいの掘り起こし」、「支援とできる、やってみたいのマッチング」、「地域住民による復興計画、復興宣言の作成や政策提言のお手伝い」となっている。
また、福島県いわき市勿来(なこそ)地区では、「勿来まちづくりサポートセンター」が、住民を巻き込んで未来のまちづくりを推進している。[ii]
この組織には2つの役割がある。1つは、プロデューサーとして、地域の事業を育て上げ、価値を発信していくことである。今東北では住民主導で企業再建や新しい事業開発など、様々な取り組みが始まっている。しかし、その事業を進めていくための人材や資金に困っている場合が多い。例えば、企画書の作成や、助成金の書類作成、広報ができる人が欲しいという時に、必要な手助けを得られる場所があれば、非常に心強い味方となる。このように、住民が何かやりたいことがあるときに、必要な手を貸す地域のよろずやとなるのだ。そして、その事業が展開できるように後押ししていく。
2つ目は、ファシリテーターとして、住民の話し合いの場を設け、住民の意見を基に地域の在り方を提言実行していくことである。地域の現状調査や、意見交換会を開催し、住民の意見が反映されるまちづくりをしていく。例えば気仙沼大島では、7080代で独居生活をしている方々が多くいらした。わざわざ介護を頼むほどでは無いが、買い物や通院など日常生活で多少の支えを必要としている。また、日中の時間を一人で過ごすことも多いため、話し相手が欲しいという声があった。こうしたニーズがあることが中間支援組織によって把握されれば、住民の方々と共に何かできることはないかと話し合うことが出来る。例えば、大島に多い空き家を安く貸し出す代わりに、高齢者のお手伝いをしてくれる人を募集しようというアイディアが出るかもしれない。家賃が安く、農地も付き、周りの農家から野菜ももらえるので食べるのには困らないという条件であれば、田舎暮らしをしたいけどお金はないという若い人が興味を抱く。中間支援組織は、こうした話し合いの機会を提供し、新しいアイディアを触発し、プロジェクトの実現可能性を高め、それを実行する際の手足となって動く。
こうした中間支援組織を市区町村ごとに置き、気軽に住民が立ち寄れる存在にする。運営体制としては地域のNPOが中心となる。そして地域に愛着を持ち継続的に関わる人々を核とする。そこに中央官庁や民間企業の経験者などで一定期間関わる人々を呼ぶ。プロジェクト遂行のために財務や法律の知識など専門性を持った人材が必要な場合は、そうした人材を連れてくる。地域リーダーの良き伴走者となるため、NPO、企業、行政が垣根を越えて連携するのだ。こうして住民による自治を促進していく。この仕組みが、今後の地方自治の未来の鍵を握る。








[i] いわて復興連携センター.「設立趣意書」. http://www.ifc.jp/media/about/setsuritusyushi.pdf (参照2012-1-27)
[ii]  東北復興新聞.「まちづくりNPOの可能性 いわき市勿来地区の取り組みにみる 前編」 http://www.rise-tohoku.jp/?p=947 (参照2012-2-21)



2012年2月18日土曜日

日本の地域  四 方策

次に、前述した地域経営による多様性に富んだ日本と、対話の営みによる持続可能な地域を実現し、倫理と規範を創造するための方策を考えていきたい。

 文化的多様性に富んだ地域経営
 地域経営による多様性に富んだ日本を達成するためには、文化的資産の産業化を一層進めていく。その地域が持つ文化的遺産を見直し、それを生かす地域経営を行うことが今後の地域のあり方だ。マキアヴェッリは、「国家を長期間にわたり維持していくには、しばしば本来の姿に回帰することが必要である」と説いている[i]。日本にしか無い価値、技術を、独自の付加価値として海外にも提供していくのである。その場合、ただ日本の文化を海外に売り込めば良いということではない。むしろ日本の文化に依って世界の文化発展に貢献する心意気で発信していく。一例として、国際政治学者の白石隆が編集長を務めるnippon.comという多言語発信オピニオンサイトがある。これは、「日本文化に内在する普遍性を通じて世界のために貢献できるようにしていくこと[ii]」を目指している。そして日本語、英語、中国語、フランス語、スペイン語の5カ国で発信しており、近い将来ロシアとアラビア語も加える予定である。日本が世界の知的発展のために成すべきことは多くあるのだ。
しかし現状の課題として、数多くの伝統文化は後継者不足と、事業としての採算性の厳しさに直面している。そのための施策として、以下の3つが挙げられる。1つは、他分野で経験を積んだ人を積極的にそうした事業に送り込むことだ。東北支援では、被災地支援グッツも作製されているが、現状では被災地支援の文脈で購入して頂いている面が否めない。そうではなく、本当に良い物だから買うという流れをつくる。そのためには、製品の品質向上はもとより、マーケティング戦略や財務的観点を踏まえた経営戦略を担える人間が必要となる。
2つめの施策として、個々の取り組み事例から得られた経験知を集積する機関を設ける。品質を向上させるには、現代の技術と掛け合わせて新しいものを生み出すことや、他地域の文化から学んで取り入れることも必要となる。そうしたノウハウを収集し編集する場をつくり、そこに集まる経験やナレッジを広く共有していく。
3つ目の施策として、こうした地域での取り組みを発展させるための大企業、省庁の後押しを進める。こうした組織が持つ人材、知識、情報のリソースは非常に魅力的であり、事業を拡張していく際には重要な起爆剤となる。
では、東北の将来像としていかなる姿が考えられるだろうか。私が3ヶ月気仙沼で過ごした後東京に戻ってきた時、東京の生活に強い違和感を覚えた。皆せっかちで、様々な欲に支配されているように感じた。それは東北の生活が自然に囲まれ、みんなで一緖に歩いていこうという風土だったからだろう。
そもそも東北は、日本ではなかった。9世紀初頭に坂上田村麻呂が朝廷に命じられて蝦夷討伐を行い、奥六郡にいた蝦夷は朝廷への服従を誓った。しかし、多賀城に拠点は置き朝廷が陸奥守を任じるものの、その後も実質的には陸奥の人々が安倍氏や清原氏などの領主の下でまとまっていた。中世初期は奥州藤原氏が平泉を拠点に栄えた。源頼朝に滅ぼされて以降、豪族や藩主が現れて勢力を築き、徐々に中央との交流が増えていく。江戸時代を経て戊辰戦争に奥羽越列藩同盟が敗れ、明治政府によって社会秩序に組み込まれる。つまり、東北が明確に日本の一部になったのはそう遠い昔のことではない。東北の人々は蝦夷の時代から独立心が強い。そうした歴史と風土が井上ひさしの『吉里吉里人』を生み出したのだ。
 この蝦夷の物語としては、岩手出身の作家高橋克彦の『火炎』『炎立つ』『天を衝く』という蝦夷3部作がある。かつて、朝廷や都の人々は陸奥に住む蝦夷を人でないといって蔑んだ時代があった。会ったこともないのに、親から子へそう言い伝えた差別の歴史があった。これはそうした偏見に屈せず、蝦夷の誇りを持って戦った熱い男達の物語だ。あの時代から1000年余が経ち、今を生きる世代にはそうした思い込みは無い。馬で何十日もかかって都から移動していた距離も、今は新幹線に乗れば半日で着く。今年は平泉が世界遺産にもなった。平泉の達谷窟は、坂上田村麻呂が蝦夷討伐を行った際に建てられたと言い伝えられている。阿弖流為から始まり、安倍貞任や藤原経清、清衡などの奥州藤原氏の願いが現代に息づいているのだ。
また私事であるが、2009年から稽古を続けている北辰一刀流剣術は、陸前高田出身の千葉周作が開祖である。江戸で開いた玄武館は江戸の三大道場の一つとされた。最近では大河ドラマの『龍馬伝』や映画『るろうに剣心』の武術所作指導もしている。また震災前までは、少年剣道大会を陸前高田で開催していた。こうした東北に残る多様な文化は、日本のかつてあった文明の姿を留めている。
こうした東北の文化を継承する取り組みの一案として、東北でのオーラルヒストリー事業を実現させたい。前述した様に東北地方は高齢化が進み、今後2030年でそこに住む人口も大きく減少してしまう。その前に、どこにもいるその地区の長老達や語り部の昔話を聞いて回る。そこには生活の知恵、仕事の工夫、人との関係づくり、伝統行事などの様々な無形資産がある。例えば大島では漁業技術発達に多大な貢献をして県から表彰された方や、生涯で赤子を1300人取り上げた助産婦がいたと伺った。それらの昔の人の知恵に現代的な解釈を加え、知的財産として共有するのだ。私がつなプロで行なっていた聴き取り訪問の発展型でもある。この事業を通して、昭和を生きていた世代からのバトンを受け取り、平成を生きる世代へ繋いでいきたい。
また、より大規模な産業の話で言えば、復興の中で今注目されている動きに野菜工場がある。東北の農業再生への解決策として、自治体と大手メーカーが進めている。背景としては、津波で受けた田畑の塩害や、放射能物質による土壌汚染である。食の安全に気をつける消費者と、安心して農業を続けられる仕組みを切望する生産者のニーズにも合っている。これらの野菜工場には二種類あり、部分的に太陽光を利用する太陽光併用型と、全ての光をLEDなどの人工的な光源でまかなう完全人工型である。この野菜工場の運営に、地元で農地の被害を受けた農家が雇用されている。言うなればこうした近代技術と、東北の農民の知恵が結びつくことで、地域独自の発展をはかることができる。つまり工場付属の研究機関として、後継者不在のため廃れそうになっていた東北の農法が集積される場所をつくることがその一手となりうる。それにより伝統的な農法が保存されることは知的財産ともなる。同時にその農民の知恵を工場運営に生かすことで技術向上にも繋がるのだ。
東北は日本の、特に東京に対するアンチテーゼを提出する可能性を持っている。今復興の途上であるが、仙台が東京の様な大都市になれば良いということではない。むしろ東北に来た人々が、普段の自分の生き方を省みる場所になれば良い。東北の歴史と文化に学びながら、東北の風土を生かし、独自の在り方を模索していく。

2 自立と共生による対話の営み
対話の営みによる持続可能な地域をつくるためには、家族、縁者、地域、NPO、政府という5重のネットを構築する。現状において政府の社会保障制度に全幅の信頼が置けない以上、できるだけ政府に頼らない仕組みをつくっていくことが喫緊の課題である。何かあった時、また「国にだまされた」と嘆き途方にくれることのないように、地域単位でのソーシャルマイノリティのケアを地道に進めていく。そもそも社会保障という形で政府からお金を貰ってしまうと、一人一人の自立心が弱くなる。まずは国に頼らずとも自分の生活を維持していく手立てを追求していくべきだ。コミュニティで支えていく仕組みを徐々に強くしていき、将来的には政府の保障の割合を減らしていくことを目指す。
東北においては、復興のプロセスを住民主導で進めていくことがそのための起点となる。地区単位、地域単位での住民会議の場を活用し、地域全体で支える取り組みを考案していく。その動きをNPO、企業、行政が手助けしていく。例えば気仙沼大島でなら、それは通院のための病院搬送ボランティアや、介護を必要とする方のための訪問介護ステーション、大島の誇りを子供に伝える地元教育、地域に関する情報を伝える地域コミュニティ誌かもしれない。そうして生まれてきた構想を、近代精神を生かしつつ成し遂げることが重要となる。
こうした動きを理念として表すなら、それは「自立」と「共生」だ。自立とは、自分の問題を自分で決めて解決していくことである。また共生とは、異なる価値観を持つ他者の存在を認めることである。その根底には、自己への誇りと、他者への尊厳を持たねばならない。地域の問題は自分達の問題であると主体性を持って臨む。そして話し合いの中では意見が異なる相手であってもじっくり話を聴く。そうした対話の場を小さな単位でつくり、少しずつ拡げていくのである。

公的なもののための近代と共生の作法
倫理と規範を創造するために何にもまして欠かせないのは、公的な問題に自らを投じる意志である。確かに、自分の小さな私的な世界で充足していれば、敢えてその圏外に現れ出る必要はない。しかし公的領域こそは、「人々が、他人と取り換えることのできない真実の自分を示しうる唯一の場所[iii]」なのだ。そして公的な問題に取り組む機会は、政治家や官僚のみに与えられているのではない。その意志を持った者には、各人に与えられた場所で「日々の要求[iv]」に従うことで、公的領域の秩序形成に貢献することができる。
具体的には、各人が出来る範囲で、自分の地域やNPOの活動に参加することである。平日は本業に打ち込み、夜や休日のみ活動することも可能だ。本業で得た知見を活動に活かすことで、少ない時間でも大きな効果をもたらすことができる。こうした職業上の知識や経験を生かして社会貢献する活動をプロボノという。プロボノとは、ラテン語で「公共善のために」を意味するpro bono publicoの略である。ローマ人は、誰であれ意志と能力がある者はres publica(公的なもの)のために自らの生涯を捧げていた。現代でローマ人のように生きることは難しいが、日常のほんの一部でも自分にできることで公共のために奉仕することはできる。
また、地方で自分の生活圏を築く生き方もある。場所は東北でも、四国や九州でも良い。文化の継承や地域社会の構築に携わりながら、自分が生きるために必要不可欠な衣食住と人間関係をつくっていく。その制限の中で、よりよい生活を営むために努力をしていく。今の20代には、そうした生活スタイルを選択する人々が増えている。ある意味で疎開に似ているが、都市で何か起こった場合でも生活だけはなんとかなる拠点を持つことの重要性は高まっている。そうした人々が文化的発展に貢献し、コミュニティの力を強靭にすることに貢献する。 









[i]  ニッコロ・マキアヴェッリ.『ディスコルシ 「ローマ史」論』.筑摩書房,(2011),457p.
[ii]  原田城治.「多言語発信サイトnippon.com開設にあたって」.nippon.com. 2011-10. http://nippon.com/ja/from-the-publisher/ (参照2012-1-22)
[iii]  ハンナ・アレント.『人間の条件』.筑摩書房,(1994),65p.
[iv]  マックス・ウェーバー.『職業としての学問』.岩波書店,(1936),74p.

2012年2月17日金曜日

日本の地域  三 未来

 では、我々はこれからどこへゆけばよいのか。次に示す絵が、前方の景色の一片でも捉えていることを望む。

 地域経営による多様性に富んだ日本
それは、諸地域の特殊性に着目した文化的発展を、それぞれの地域が独自に推進することだ。皆が単一の成功モデルを追う時代は終わった。これからは、それぞれの土地や風土に根ざした生活の豊かさを求める。まず地域が自立して社会を構成できるようにする。ここでは地域経営と言う概念が鍵となる。そして独立した地域の集合体として、多様性に富んだ日本を目指す。地域活性化や地域経営という言葉を使うと、経済的な発展のみが視野にあるように聞こえるかもしれない。そうではなく、民俗知、自然知、宗教観、さらには歴史や芸術までを射程に入れた文化的な発展を見据えるのだ。寺田の言葉を借りると、「私は、日本のあらゆる特異性を認識してそれを生かしつつ周囲の環境に適応させることが日本人の使命であり存在理由でありまた世界人類の健全な進歩への寄与であろうと思うものである。世界から桜の花が消えてしまえば世界はやはりそれだけさびしくなるのである[i]」ということだ。
都道府県ごと、あるいは市区町村ごとに自治体は総合計画を策定している。戦後は教育、衛生、清掃、治安などの社会資本整備を重点に起き、地方公共団体はサービスを提供してきた。現在はそれらが欧米諸国と比較しても高い水準で達成され、次の目標を模索している段階である。今後は、地域に根付く助けあいの気風などの文化資本や、人間関係などの関係資本を含めた豊かさを目指していくことが望ましい[ii]

  2  対話の営みによる持続可能な地域
  また、地域の在り方で見れば、地域単位での共生の仕組みを作っていくことだ。今ある共同体を継続させる仕組みをつくっていく。そのためには、政府による社会保障制度がいつ破綻するか分からない状況で政府に全面的に頼るわけにはいかない。その前に、自発的な取り組みを進めていく必要がある。これまでは支援が必要な人は政府が支えるという発想だった。今後は、家族、縁者、地域、NPO、政府が5重のネットで支えていく形をつくっていく。特に地域、NPOの部分では、今震災復興という文脈で進められている事業を、より一般化して他地域にも展開していくことが効果的だ。
地域単位で発展する日本を実現するには、どのような仕組みが必要だろうか。それは、住民が地道な話し合いで地域の問題を考え対応を決めてゆく仕組みである。宮本常一の『忘れられた日本人』で、対馬の村の寄り合いの話が挙げられていた[iii]。そこでは村の人々が集まって、様々な話題に対して何日も時間をかけて話し合う。このような対話の営みから、その地域に住む一人一人の状況に即した、土地に根ざした知恵が出てくる。
その際は、何かを変える、変えないというよりも、今あるもの、過去あったものの中で残すべきものと残すべきでないものを峻別していく視点が求められる。社会を変える、日本を変えるなどとはおこがましく簡単には言えない。それよりも、次の世代に何を残していきたいのか、自分達の世代で終わらせるべきものは何か、そうした態度で話し合いに臨んでゆく。一人一人が、共同体を受け継ぐ者として、公共性を持って次代へ繋いでいく意識をもって行動するのだ。

 近代と共生の作法による倫理と規範の創造
 こうした新しい時代を生きるために、今後一人一人が2つの作法を身につける必要がある。一つは、近代の作法である。ここには様々なものが含まれるため、ここでは網羅的に述べることはできない。一例を挙げるなら、意思決定の際の合理的思考能力である。例えば原発についてでも、単純に感情に流されて反対とするのは良くない。現代社会を維持するには現時点では必要という事実は見つめなければならない。一方で、今回の事故で分かったようにコントロールできなくなった時の危険性も認識し、それによって現在苦痛を味わっている方々がいることも受け止める。そうした現状を踏まえた上で、いくつかの選択しうる戦略オプションを考案する。それぞれに想定されるリスクも認識した上で、判断するのだ。そうした知的な作法、近代の思考のディシプリンを訓練して身に付けていかなければならない。そうした近代の作法が、今後の日本の地域経営や共生社会の構築には必要となる。
 二つ目が、共生の作法である。これは、異なる他者が共存する空間で、どのように関係性を結んでいくかという作法である。今回の復興支援で、住民の方々と協働する経験を通して学んだことから、それを考察してみる。
その共生の作法には、主に3つの関わり方があると総括できる。まずは、自分が関わる一人一人の声を聴き、具体的な必要に応えていくことである。社会を俯瞰する見方が「鳥の目」だとすれば、「虫の目」で地域を見守り、目の前の相手に接していくことである。重要なのは、一人一人とどこまで真摯に向きあえるかである。一人一人の漏らす声を聴きとり、拾い上げることであり、そこにしか答えはない。その目線から離れたら何をしても空回りしてしまう。仮に、鳥の目で見た景色と虫の目で見た様子が異なった場合は、虫の目を信じ、鳥の目を疑うべきだ。一人一人の具体的な声から、地域や社会を問い直すことが震災後ますます重要になっている。
 つぎに、目の前の相手にどこまでも寄り添うことである。今回の震災後、多くの義援金が集まり、全国からボランティアが被災地に入った。個人や団体、企業で様々な支援が寄せられた。そうした自己犠牲精神は素晴らしい。しかし、被災者側に立って見た時、そうした支援が必ずしも良い結果のみをもたらさない場合もあった。つまり善意の押し付けになり、相手を見ていない支援である。自分の自己犠牲的行為が正しいと思い込んでいる人は、それがもたらす様々な波及的効果に思いを寄せない。ウェーバーが言う「心情倫理」と「責任倫理」の問題である[iv]。ある意味で、疑いの無い善意が一番危険だ。そもそも、絶対的な善などこの世界に存在しないのだから。では、どのような作法で相手と接すれば良いのか。まず、自分の不完全性を自覚し、誤りをおかしうることを認識する。ミルが言う、「我々は誤りを犯し得る存在である[v]」という自覚である。そして相手に寄り添う姿勢を取る。支援で言えば、支援してあげるのではなく、させて頂くということだ。それは、相手への尊敬の念を持つということである。あくまで相手が主役であり、自分達は従の存在である。そして対面で向きあうよりも、横に座って同じ視点で見ることを心がける。自分が話すよりも、相手の話したいことを聴くことに時間をかける。そして何を求めているのかを察し、どうすれば良いかを一緖に考える。そうした姿勢が、相手の自立へと繋がる。
 そして最後に、一人一人が寛容さを持つことである。なぜか。ここまで述べたように、なるほど確かに一人一人の声を聴き、寄り添うことは大事だろう。だが、その声は常に複数性を孕む。つまり、異なる一人一人が発する以上、その声は異なるものにならざるをえない。いずれの声も真であり、同時に互いに矛盾する状況が起こりうる。そのような事態に際し、どのように対処すれば良いのだろうか。言い換えれば、「即ち、単一の合理的な善についての公共の合意が成立し得ず、対立し通約不可能でもある諸構想の多元性が所与として認められざるを得ないとするならば、社会的統一はいかにして理解され得るのか。さらに、社会的統一がある一定の仕方で理解され得るとするならば、いかなる条件の下でそれは実際に可能なのか[vi]」という問いが提出される。最初に述べるべきは、それをたちまち可能にする魔法の呪文は無いということだ。その矛盾を打開する特効薬もない。採りうるべき処方箋としては、愚直な対話の営みを続けることしかない。つまり我々が持つべきは、「何が正義かについて超越者が知っている正解…(中略)…を手に入れたつもりになって、それをこの世に性急に実現しようとする哲学者王の野心ではなく、この問いを問い続け、解答を異にしながらも同じ問いを問う他者との緊張を孕んだ対話を生き抜こうとする決意[vii]」である。そして、その対話の営みによって構築される社会とは、「人々が解答を共有することに寄ってではなく、問いを共有することによって結合する社会であり、終わることのない自由な対話を通じて、動的な連帯が維持されるような社会[viii]」である。だがその対話は、決して生やさしいものではない。その対話に基づく社会を実現するためには、一人一人が、「寛容さ」という心的態度を持たなくてはならない。つまり「異質な価値観を抱く他者との間で、相互理解の困難さ故に緊張を孕んだ対話を粘り強く営むことを通じて、自己の思想の地平を絶えず拡げてゆこうと努める人々の、永続的な探求の情熱から生まれる自己批判的な謙抑としての寛容[ix]」である。
村上春樹は、震災後の69日のカタルーニャ国際賞のスピーチで、「失われた倫理や規範[x]」を再生しなければならないと述べた。村上が述べるように、それは「我々全員の仕事」であり、「一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして」その作業に取りかからなければならない。合理的思考力を磨き、一人一人に真摯に寄り添い、寛容さを持って対話の営みを続ける。そうした近代と共生の作法を一人一人が使いこなして新しい倫理と規範を創造し、震災後の時代を生き抜く覚悟こそが今求められている。








[i]  寺田寅彦.“日本人の自然観”.『寺田寅彦全集 第六巻』.岩波書店,(1997), 294 p.
[ii]  岡本全勝.『新地方自治入門 行政の現在と未来』.時事通信社,(2003),202p.
[iii]  宮本常一.『忘れられた日本人』.岩波書店,(1984), 15 p.
[iv]  マックス・ウェーバー.『職業としての政治』.岩波書店,(1980), 89 p.
[v]  ジョン・スチュアート・ミル.『自由論』.岩波書店,(1971),107p.
[vi]  ジョン・ロールズ.『公正としての正義 再説』.岩波書店,(2004),333p.
[vii]  井上達夫.『共生の作法』.創文社,(1986), 24 p.
[viii]  井上達夫.『共生の作法』.創文社,(1986) ,24 p.
[ix]  井上達夫.『共生の作法』.創文社,(1986), 202 p.
[x]  村上春樹.“非現実的な夢想家として”.(カタルーニャ国際賞受賞スピーチ).47NEWS. 2011-6-9.

2012年2月11日土曜日

日本の地域  二 希望

二 希望
だが、震災後の現象のいくつかには希望も垣間見られた。それは、先だっての現状の見立てにかすかな光明をもたらすものであった。

失われた文明
 成長から取り残された地方の縮図とも言える大島は、災害に対しては賢明な知恵を持っていた。地震の直後、連絡船ひまわりの船長は一人沖に乗り出し津波に向かっていった。津波の時は船を沖に出せという昔の漁師の言い伝えに従ったからだ。その結果津波をくぐり抜けて無事生還し、その後は本土との物資運搬に尽力した。
また大島の高台にはみちびき地蔵という地蔵菩薩像があり、津波の時はその丘まで逃げろという言い伝えもあった。三陸沿岸地域は度々津波に襲われるため、今でもこのような一種の民俗知、自然知が残っており、それが人々の命を救った。
 また大島では地元の住民による自発的な活動も見られた。島の漁師を中心としたおばか隊は、自分の家が流されているにもかかわらず、島民のために救援物資運搬や瓦礫撤去に奔走した。隊員は一時期60人超にも達し、これは若い世代が少ない島の中では相当高い参加率である。地元住民による自発的かつ継続的な自助組織は、被災地全体でも稀である。互いが顔見知りだからこそ湧き上がる、人情による紐帯が残っていたのだ。
 今、ひまわり船やみちびき地蔵のような民俗知、自然知の価値を見直す時が来ている。2011年度の小学校教科書に再録された『稲むらの火』は、稲束に火をつけて村民たちを高台に誘導し津波から救った男の話である。これは1854年の安政南海地震の史実を元にしている。自然の脅威をかわす知恵を昔の人々は継承していたのだ。それは、現代の我々が忘れてしまったものである。
物理学者の寺田寅彦は、日本人の自然観について次のように述べている。すなわち日本の自然は慈母の慈と厳父の厳とを併せ持つとし、「すなわち日本ではまず第一に自然の慈母の慈愛が深くてその慈愛に対する欲求が満たされやすいために住民は安んじてそのふところに抱かれることができる、という一方ではまた、厳父の厳罰のきびしさ恐ろしさが身にしみて、その禁制にそむき逆らうことの不利をよく心得ている。その結果として、自然の充分な恩恵を甘受すると同時に自然に対する反逆を断念し、自然に順応するための経験的知識を集収し蓄積することをつとめて来た[i]」と述べた。今回の震災を語る時、被災者は「生かされている」という言葉を度々使っていた。それはこの「慈母の慈と厳父の厳」を肌身で感じているのでその言葉が選ばれるのだ。
 また、震災後日本の持つ「無常観」に多くの人が言及していた。宗教学者の山折哲雄は、法華経の「三車火宅」の譬え話を引いている[ii]。この話の筋は次の通りだ。ある長者の大きな屋敷がある。これは世の中全体を象徴している。その屋敷の中で沢山の子供たちが無邪気に遊んでいる。実はその屋敷には火がついて燃え始めている。放っておけば全員が焼け死んでしまうかもしれない。その時、長者は屋敷の門のところに金銀財宝で飾り付けた三つの車を置いて、子供たちの気を引く。子供たちが外に出たところで、もう一つ大きな立派な車があり、それにみんなを乗せて救済する。これは、助かるときも、助からない時もみんな一緒という思想である。山折は、日本人が災害に際して忍耐強い対処をする背景には、この考え方があると指摘する。みんなが苦労しているから、自分も文句を言わずに我慢しようという心的態度である。確かに東北の、それも北の地域に住む人々ほどその意識は強く持っていた。震災から数ヶ月経ち、地元の求人が出てきても、気仙沼の人はなかなか再就職しようとしない。理由を聞くと、「周りの人も仕事がないのに、自分だけ働くことはできない」と答えた。
 ここまで述べた民俗知、自然知、そして宗教観は、近代以前の日本を根底の部分で支えていた。それは、歴史家渡辺京二の『逝きし世の面影』や、民俗学者宮本常一の『忘れられた日本人』に書き残された失われた文明の姿だ。ここで言う文明とは、「ある特定のコスモロジーと価値観によって支えられ、独自の社会構造と習慣と生活様式を具現化し、それらのありかたが自然や生きものとの関係にも及ぶような、そして食器から装身具・玩具にいたる特有の器具類に反映されるような、そういう生活総体[iii]」のことである。日本全国を旅して庶民と会話をした宮本は、次の言葉を残している。「私は長い間歩きつづけてきた。そして多くの人に会い、多くのものを見てきた。その長い道程の中で考えつづけた一つは、いったい進歩というのは何であろうか。発展とは何であろうかということであった。すべてが進歩しているのであろうか。進歩に対する迷信が、退歩しつつあるものをも進歩と誤解し、時にはそれが人間だけではなく生きとし生けるものを絶滅にさえ向かわしめつつあるのではないかと思うことがある。進歩のかげに退歩しつつあるものを見定めてゆくことこそ、われわれに課されている、もっとも重要な課題ではないかと思う[iv]。」
また、歴史家の網野善彦は、「“進歩”の名の下に切り捨てられてきたものに目を向けつつ、歴史を再構成することが、必須の課題になってきた[v]」と述べた。つまりこれまで我々が進歩の名の下に切り捨てられてきたものの中に、実は大切なものがあったのではないだろうか。近代の人間は、それ以前の文明が培っていた大事なことを忘れつつあるのではないか。すなわち、我々がもともと持っていた、人間と自然の在り方、人間と社会の在り方、人間の生き方である。そうした失われた文明の知恵をもう一度学ぶことが必要なのだ。そのためには、まず自分の周りのものから見直していくことができる。例えば食べるものを自分で庭やベランダで作ってみるのもよい。安くて便利な食器より、値がはっても長持ちする漆の食器を選ぶこともできる。失われた文明を蘇らせるには、我々の普段の生活の基盤となっている価値観を問い直すことから着手するのだ。

 地域住民、NPOによる相互自助の試み
 今回の震災では、地域レベルでの様々な取り組みが見られた。避難所から仮設住宅への移行に伴い、地元の方々とNPOが連携して入居者の支援事業を展開している。こうした草の根レベルでの支援は、石巻、気仙沼、大船渡等多数地域で進められている。
その一例として、大船渡での仮設住宅支援員配置支援プロジェクトでは、地元住民を支援員として雇用し事業展開している。支援員が仮設外からの行政、支援団体等からの支援内容をコーディネートし、住民自治を促進している。これは岩手県水上市の行政、NPO、企業が同じテーブルについて行なっている[vi]
そして、震災支援活動分野も仮設住宅の巡回訪問から医療介護福祉、教育支援、コミュニティ再生、産業復興、中間支援まで幅広く展開されている。こうした取り組みは、いずれNPOや地域によるセーフティーネットとなる。その先には我々が属する共同体の存続可能性が見えてくる。

個人の位置と役割
 震災後、短期での震災ボランティアや、休職や休学をして長期間携わる人々など多くの人が現地で活動した。復興支援として人材を現地に送り込む活動をしていた団体もあり、私はNPO法人ETIC.から派遣されていた。この枠組みを使って、大学生から休職してきた社会人まで数十名が三ヶ月以上の長期間活動していた。皆が、自分にも何か出来ないかという一心で日々活動していた。そうした人々の行動からは、自分達の未来を自分達でつくるという気概が感じられた。
 こうした人々は、震災がきっかけで突然目覚めたわけではない。もともと何か人のためになることがしたいという気持ちを漠然と持っており、震災でその具体的な位置と役割が見つかったのだ。そこには、近代に生きる人間としての主体性の兆しが現れていた。









[i] 寺田寅彦.“日本人の自然観”.『寺田寅彦全集 第六巻』.岩波書店,(1997), 278 p.
[ii]  山折哲雄,赤坂憲雄.『反欲望の時代へ 大震災の惨禍を越えて』.東海教育研究所,(2011),89p.
[iii]  渡辺京二.逝きし世の面影.葦書房,(1998),7p.
[iv]  宮本常一.『忘れられた日本人』.岩波書店,(1984), 333 p.
[v]  網野義彦.『「日本」とはなにか 日本の歴史<00>.講談社,(2000), 13p.
[vi]  RCF復興支援チーム.「行政・企業の役割と今後のNPOとの連携による被災地復興」.  RCF復興支援チーム.2011-12-23. http://rcf311.com/wp-content/uploads/2011/12/koshikai1213.pdf (参照2012-1-20