2011年4月10日日曜日

うるし 実用の美

 漆には、日常で使う食器やお盆などを指す「漆器」と、蒔絵など鮮やかな技法を施した美術品を表す「漆芸品」がある。



 漆器といえば、「もものけ姫」でアシタカが持っていた朱塗りの椀が思い浮かぶ。


 漆器は軽い。熱にも強い。落としてもめったに割れない。スポンジと洗剤で洗い、乾拭きしておけば手入れはそれでよい。

また漆器は実用的な道具でありつつも、高度な芸術性を持っていた。明治初期に来日した外国人は、日本人が家で普通に使っている筆や硯、食器などを見て、そうした調度類から文化の高さを感じ取ったという。(渡辺京二 『逝きし世の面影』)特に仰々しく飾るでもなく、もったいぶって出すのでもなく。そうした日常生活の中にが感じられるのは、日本文化の一つの特徴である。

 先日代官山の漆器山田平安堂に行ってきた。普通の夫婦茶碗やお盆もよかった。家にあったら品が上がる。その中でも一番欲しいと思ったのは、蒔絵時計だった。これは圧巻。

 こうした漆芸品の場合、漆塗りは物によっては10回も20回も重ね塗りをする。塗っては乾かし、塗っては乾かしを繰り返す。その上に蒔絵や螺旋といった装飾を施す。詳しい技法は、うるしの神様といわれた松田権六の『うるしの話』(岩波文庫)に詳しい。

 蒔絵を施した豪華な漆芸品は、海外に多く存在している。これまで海外に漆芸品が大量に流出した出来事は、3回あった。最初は安土桃山時代である。宣教師達は漆器の美しさに魅せられた。そしてオランダ人が出島から輸出した。次は明治維新のころだ。西洋の文明を取り入れるのに必死だった日本は、漆芸品を外国に流していった。そして最後は太平洋戦争である。占領後にアメリカ人が興味を示したため、安価で売ることとなった。海外に渡った漆芸品は、西洋の貴族や富豪のコレクションとなった。

 そのコレクションを修復したのが、復元家の更谷富造である。更谷は日本の伝統芸能界から距離をとっており、彼から見れば旧態依然とした人々に対する批判もしている。あまり詳しくないので誤解があったら恐縮だが、もっと海外のマーケットで勝負しなければならない、全世界から欲しがられるものをつくればいいという主張は、村上隆とも近い。(更谷富造『漆芸 日本が捨てた宝物』)

 今回興が乗って漆について少し調べて見た。日本の魅力とは何か。これまでの人々が培ってきた技や感性といった文化を土台にし、そこに時代性を組み込むことで、日本の独創性が生まれてくる。

「古いものの中から生活に合ったものを見出すのは、利休以来の日本人の伝統である。現代は独創ばやりの世の中だが、現在を支えているのが過去ならば、先ず古く美しい形をつかまねば、新しいものが見える道理はない。伝統を背負って生きていく勇気のないものに、何で新しいものを生み出す力が与えられよう」  
白洲正子 『器つれづれ』

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