2011年5月21日土曜日

仙台、気仙沼、大島でのボランティア活動

 4/19から5/2まで、宮城でボランティア活動をしていた。1週間目は仙台、2週間目は気仙沼で活動した。

 「つなプロ」http://blog.canpan.info/tsunapro/のアセスメント活動で、自分は仙台市内や気仙沼の避難所をいくつか回った。課題やニーズを抱える被災者の声を聞き取り、専門性を持つNPO等の支援とつなげることが「つなプロ」のミッションだった。また気仙沼近くの大島では、環境省の日本百景特選にも選ばれた小田の浜の瓦礫撤去を手伝った。今回自分は事務局としてボランティア活動における人、モノ、金の運営管理を担当した。

 震災から12ヶ月経ち、現地は緊急物資支援の段階から、徐々に復興を考える段階に入ってきていた。その中でも被災者の一番の不安は自分の職がどうなるかということだった。何人もの人が「職があるって大事だよ」「職さえあればねえ。」「今はいいけど、この先どうやって食っていくのか検討がつかない」という言葉をつぶやいていた。気仙沼は今まで漁業が盛んだった。しかし震災で船が流され、漁港も被害をうけ、再開できるのか検討している状況だった。

 そういう状況を見て、できるだけ気仙沼にお金を落とし経済に貢献することを考えて事務局の仕事を動かした。例えば今回気仙沼で活動するにあたり、ドライバーを現地の方から採用した。4日間なので大した額にはならなかったが、それでも地元の人に一時的な雇用をつくることができた。そして日中ずっと気仙沼出身の人と行動することで、ボランティアは現地について話を聞くことができた。食事も、気仙沼のお弁当業者に4日間毎2食を発注した。また気仙沼から仙台へ帰る際、バスを市内から調達した。バスの手配も、ネット検索から見つけた企業では運行できるバスが見つからなかったが、大島の議員の方の紹介により、一日でバスを見つけることができた。これらは微々たるものでしかないが、それでも仕事を通じて気仙沼の人とボランティアの関係をつくることに貢献した。

 今回の活動を通して議員、行政、企業、NPO、住民、マスコミなど様々な分野の人々と接することができた。その過程を通して、異なる慣習を持つ集団間の境界を超える意思を持つことが重要だと感じた。仙台市の避難所では、NPOと行政間の折衝がうまくいっていなかった。行政はNPOに不信感をもち、NPOの人間が避難所に入り被災者の方から話を聞くことに震災後なかなか許可を出さなかった。また、仙台市の避難所で1ヶ月風呂に入れてない高齢者がいた。近くに銭湯があるため、車で運べばすぐ湯につかってもらえる。だがそれには避難所運営委員会の許可が必要だという。またその許可を出すためには、市役所の人に確認を取らなければならないという。その許可や実施日時の調整に1週間かかった。おそらく行政の論理としては、面識のないどこの馬の骨ともわからないNPOを入れて問題がおこったら自分の責任になる、といった防衛措置をとってしまいたくなったのだろう。けれど、客観的に状況を見れば、現場でNPOが即時対応した方がいいこともある。互いが互いの論理だけで話していては前には進まない。その異なる集団間の境界を越え、言葉の翻訳をした上で連帯を強められる人間が求められると強く感じた。

 全体を通した自分の動きとしては60点。現場にとびこんでから、状況を把握するのに時間がかかった。仕事も遅かった。事務局やエリアマネージャーの方、ボランティアのみなさんにいろいろと助けてもらいながらの2週間だった。けれど、即時の判断が求められる状況でも意外と動けると思った。全体の流れを見てどうしたらいいかを考えるのは向いているとも言われた。でもやっぱり細かい事務作業は苦手だった。

 後は、仕事ができるのは前提として、チームの温度を上げていく力を伸ばしていかなければならない。そこが今の自分に欠けているところ。組織のミッションを伝えて、みんなが共有できるストーリーを語って、周りの人の感情を上げていく。そういうことができるようになるのが、今後5年のひとつのテーマ。

 それと、NPOはもっとアスリートのようにストイックで合理的な組織になる必要があると思った。もちろん今回は急造の運営主体だったためそれを求めるのは酷であり、また自分がそれに値する仕事は出来ていなかった。けれど、アセスメントからマッチングへの流れはもっとうまくできる余地があるし、時間や予算の使い方ももっと合理的な判断をする必要はある。例えば地域の消防隊のように、普段から定期的に訓練をし、いざという時に組織化されて活動するというNPOが増えれば、こうした災害時にもより大きな成果をあげられるかもしれない。これからの時代は、災害に限らず様々なリスクに対応することが求められる。ならば、普段から経済活動以外にも地域のコミュニティ活動や専門NPOに所属し、週1くらいで経験を積み、なにか起こった際には自律的に対応する、というライフスタイルが良いのかもしれない。


一番印象に残ったのは、大島のおばか隊のみなさんだった。海の男達はかっこ良かった。
【陰で生活支える男衆】気仙沼大島島民の生活支援の為、物資の輸送から不明者の捜索まで何でもする男達、愛称は“おばか隊”。「バカになって何でもしないと島は復興しない」との思いで復興活動をしている。メンバーは20代から40代の男性有志。「みんなができることをと自然と集まった」とリーダーの大谷さん。原動力は島を愛する気持ちだ。(三陸新報4/28) @sakupapa0904
 今後も、なんらかの形で気仙沼、大島を始めとした宮城に関わっていきたい。

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