2011年10月14日金曜日

落語 -江戸っ子人情-

 最近落語を聴いている。iPodに入れて電車の中で聞いている。何が面白いって江戸っ子人情噺が面白い。

 一番のお気に入りの演目は「唐茄子屋政談」(志ん朝)である。吉原遊びが過ぎて勘当された若旦那が、頼った馴染みの女にも見捨てられ、川に身を投げようとした。そこを通りかかった親戚の叔父に拾われ、助かるためになんでもすると言った手前唐茄子を売って歩くこととなる。自分で汗水流して働いたことなどない若旦那は渋々だったが、通りすがりの親切な旦那にも助けられなんとか売りさばくことができた。最後に立ち寄ったお宅で腹を空かせた子供に出会い、訳を聞くと主君に忠言した夫が疎まれて左遷され、残された妻が一人で子供を食べさせている。哀れに思った唐茄子屋の若旦那は売り溜めを全部その妻に渡してしまう。叔父の家に帰った若旦那は、売り溜めを遊んで使ってしまったと疑われたため、叔父と二人でそのお宅に確かめに行く。すると何やら付近が騒がしくなっていた。隣の家の婆さんに聞くと、その売り溜めを唐茄子屋に返そうとした妻が、お金を持っているところを大家に見咎められ、支払いが滞っていた家賃として無理やり取り上げられてしまった。それを苦にした妻は首を吊ろうとしたがなんとか息を吹き返したところだという。怒った若旦那は大家の庭に飛び込み、茶漬けを食べていた大家の禿頭に熱湯をかけてしまう。普段憎まれていた大家がやられたということで、近所の人々は拍手喝采である。それがお上に伝わり大家はお咎めを受け、若旦那は人助けをしたということで勘当が解かれた。情けは人のためならず。唐茄子屋政談の一席でござい。(拍手)(『志ん朝復活 色は匂へと散りぬるを ろ 唐茄子屋政談』、2002、ソニー・ミュージクジャパンインターナショナル)

 話しの随所に江戸っ子商人の気質や哲学が散りばめられているのが聞いていて楽しい。聴き終わったあとに心がすかっとする。
「唐茄子屋の何がみっともないんだ。天秤を肩にあてがって唐茄子でございって売って歩いてわずかでも口銭儲ければ立派な商人だ。飯が食えねえでふらふらしてるような死に損ないの方がよっぽどみっともねえんだ」
「叔父さんは堅物じゃあないが、働いて遊べ。自分で一生懸命働いて稼いだ金で遊べ。親父の金なんかで遊ぶな」
「お前な、この人は物貰いじゃねえぞ。商人だ。金をくれてやるなんて乞食と一緒にするな」
「楽なことはできないよ。先に苦しいことやって楽なことになるんだ。誰だってそうだ」
この書かれたあらすじを読むより本物の噺を聴いた方が100倍面白いので、騙されたと思って志ん朝の「唐茄子屋政談」を聞いてみて下さい。特に働くって面倒だなと思っている就活生や来年から務める人、社会人1年目にお薦めします。

 他にもいい噺が沢山ある。芸の道を歩む武家親子が一枚の屏風に書いた絵を通して交流する「抜け雀」。絵心とは何かを親子の情を絡めて聴かせてくれる。固い固いと思われていた番頭さんが屋形船でどんちゃん騒ぎをしていたところを大旦那に見られ慌てる「百年目」。江戸っ子商人は遊びを身につけることも商人の心得と考えていた。吉原の女と夫婦の契を交わしたと思っている男と、実はその男を嫌っている花魁と、その間に挟まれて困ってしまう若い衆の珍妙なやり取りを聴かせる「お見立て」。腕はいいが酒飲みのぐうたら夫とそれを支える健気な妻の夫婦愛を描いた「芝浜」。

 当時の風習や文化を知らないとわからない部分もあるが、何度も聞く内にわかってくる。なにより一回で飽きるということがなく、何度聴いても笑えるところがいい。

 名人芸の極みをとくとご覧あれ。

2011年10月8日土曜日

9月-スピーチ、平泉-

 910日、NPO法人ETIC.主催の『地域仕事づくりチャレンジ大賞2011』という表彰式の中で、『震災復興パネルディスカッション』として被災地での復興支援活動についてお話しさせて頂いた。福島会津で活動されている貝沼さんという方とご一緒した。話の中で一番反響があったのは、「これから東北で活動することを考えている人へのメッセージは?」という質問に対しての、「誰かと会った際は必ず挨拶をしっかりしてください」という答えだった。現地の方々からしてみれば、今まで自分たちが生活していたところの風景が変わり、人間関係が変わり、不安が尽きない生活をされている。その中で知らない外部の人間が来るので、当然警戒をされる。そうした方々に安心してもらうためにまず目が合ったら知らない人でもこちらから挨拶することが大事。それは自分たちの活動を続けやすくなることにも繋がる。

 その後9月は岩手県平泉で免許合宿に行って来た。なぜ平泉にしたかというと、最近高橋克彦の『火炎』『炎立つ』という、奥州や平泉といった今の岩手県を舞台にした小説を読み、その場所で時間を過ごしたかったから。この小説はお薦め。昔、朝廷や都の人々は陸奥に住む蝦夷を人でないといって蔑んだ時代があった。会ったこともないのに、親から子へそう言い伝えた差別の歴史があった。そうした偏見に屈せず、蝦夷の誇りを持って戦った熱い男達の物語だ。あの時代から1000年余が経ち、今を生きる世代にはそうした思い込みは無い。馬で何十日もかかって都から移動していた距離も、今は新幹線に乗れば半日で着く。今年は平泉が世界遺産にもなった。阿弖流為から始まり、安倍貞任や藤原経清、清衡などの奥州藤原氏の願いが現代に通じたのかもしれない。(下は平泉の高台から見る収穫時を控えた稲穂群。奥に見えるは観音山か。)