2009年3月6日金曜日

カンボジア滞在-総括

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自然と人間:
 都市から相当離れ、山を登り悪路を越えた先にも集落はある。自然といってもかなり人間の手が入っている。そしてそうした地でもゴミが散乱している。便利さ、安さだけを追求していてはいずれ地球上のどこにも住めなくなる。自然と人間の共存を考えなければならない。

人間:
 生活するには衣食住がちゃんと満たされればそれでよい。精神的な幸福が重要。
 生活総合力はここの人たちの方が先進国に住む人よりある。先進国の人間は部分最適を繰り返した結果、自分一人では何も出来なくなっている。急に裸で森に投げ込まれたら生きて行けない。

農業:
 クメール人の8割は農業従事者。家族経営の自給自足が形態としては一般的。
食堂で米が出てくるのだが、大量に出され、たいてい残る。残ることを許されるのは、安いから。1kg=1500R(4000R=1$)。米の質はあまりよくない。粒は小さく、ぱさぱさしている。ただ高いクメール料理店の米は大きく身が詰まっていたので、品種改良や肥料をちゃんと与えれば質が向上する余地はある。まだ価格が安いことには市場が小さいこともあると思われる。人口が少ないため、食堂や屋台での米の消費量がそこまで多い訳ではない。海外に需要を求めれば価格も上昇することができるかもしれない。

教育:
 学校は至る所にある。人里離れた集落にも、学校はある。学校帰りの子供はよく見かける。午前午後2部制。教科はクメール語や英語がメイン。
 気になったのは真新しいが生徒の姿のない学校が見受けられたこと。その地域の子供の数に対して学校が多すぎるのか、行政が遅れていて学区の振り分けが出来ていないのか、教えられる先生がいないのか。進める過程にはまだ困難がある。
 大学教育は思ったよりされていた。ガイドも、泊まったゲストハウスのオーナーも大学教育を受けていた。オーナーはMBAまで取得していた。
 現地の新聞記事によると、最近の問題は先生の給料が低いため追加徴収をすることと、親に教育の重要性の理解がないためドロップアウトする生徒が多いことらしい。
 思ったのは、教育を受けた人の受け皿のこと。教育を受けた後彼らはどこに進むのだろう。産業はまだまだ第1次産業の段階。
 そして何を教えるのかを考える際にとるべきアプローチとは?以前私は国家の教育政策に対して、まずその国が国際社会で果たすべき役割、将来像があることが大事で、そのために必要な人材像を明確にし、ではそのためにはどのような教育がBestなのか、というステップを踏み、国家像からブレークダウンしていくアプローチをとるべきだと考えていた。しかし今回バスで揺られながら人々の環境、生活、価値観が多様なのを目の当たりにして、そのようなトップダウンのアプローチが可能なのか疑わしく思った。かつカンボジア滞在中にアマルティア・セン氏の「人間の安全保障」を読み、その中にある、人間の安全保障という視点から見た上での基礎教育の重要性に気づいたこともあり、一人一人の“人間”に焦点を当てたアプローチの有効性も今後考えていきたい。

カンボジア社会全般:
 社会的インフラが未整備。停電がラタナキリでもプノンペンでも起こった。復旧するのに30分~1時間くらいはかかる。
 国道も舗装されていなく、整備を進めている段階。乾期は砂埃がすごい。雨期は水たまりがいたるところにできる。
 市内にゴミも多く、衛生は悪い。
 またセントラルマーケットや他の店も非常に密集していて、火事がおきたら危険。
 人々の生活は、生きて行くので精一杯な印象を受けた。それでも自分の生活圏内で精一杯生き、楽しんでいる。ただその状況から脱出できない。大多数の貧民とごく一部の富裕層との心理的な距離感はかなり大きい。
 英語が出来るか出来ないか(=観光客と接せられるか否か)は収入にかなり影響していると思われる。ガイド(バイク、英語)で1日15$の収入。それで比較的多い方。
 クメール人の強みとしては、やはり職人気質であることだと思った。まじめで、細かい作業が巧い。ラタナキリでの宝石細工や、アトリエで見た絵は非常に巧いと感じた。あの複雑なクメール文字を使用していることとも関連するかもしれない。

NPO:
 確かにカンボジアで活動しているNPOは多い。プノンペンの町中で国連機関、NPOの施設は多い。分野としては教育、医療、食料など。また新聞記事の中での事件へのコメントが、日本ではその問題に詳しい大学教授が述べているが、カンボジアでは関係する分野のNPOの方がコメントを求められているケースが多い。またNPOでのクメール人対象の求人広告もあった。
 OVALの優勝プランとなったバナナペーパーがあった。電気や水道がないThmei村にNPOが行き、村人にバナナの幹を原材料としたバックや写真立てなどのハンドクラフトの制作を教えている。売り上げは現地の医療向上に貢献している。
 また、ストリートチルドレンの保護と社会復帰、将来的なカンボジア人の人材育成を目指す「Friends」(http://www.streetfriends.org/)というNPOが経営する「Romdeng」というクメール料理店があった。内装はかなりきれいで、スタッフの子供たちの対応も気持ちよく、味もいい。
 
 ただ、真新しい人けのない学校を見て思ったのは、彼らが実際に抱えているニーズと、機関から供給されるものが合ってないのではないかということ。こうした事業は市場がないから需要がなくても供給される。つまりカンボジアの実際のニーズをきちんと把握することが必要である。援助したつもり、いいことしたつもりの自己満足に陥ってはならない。また先進国の人々に真のニーズを知らせることがニーズともいえる。
 また、将来のカンボジアの全体像がないと感じた。それぞれの組織がそれぞれのニーズを見てバラバラにうごいている。このままだとつぎはぎだらけのサイボーグになるのではないか。
 
カンボジアと日本:
 カンボジアでの日本の存在感は大きい。道路整備や排水管工事でも日本政府の援助が入っていた。JICAのマークもよく見かける。また日本の大学院への奨学金募集もある。

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