2013年10月14日月曜日

表現の糧学校-アートNPOリンク-


以前アートNPOリンク主催の表現の糧学校に参加しました。これはアートプロデュースに関わっている人を主な対象とし、現代社会においてアート/芸術にどのような「基本姿勢」で向き合うのかをテーマとした一連の講座です。キーワードとして「ジェンダー」「資本性」「公共性」があり、五野井准教授による「公共性」の講座からはアートの意義について新しい見方を得ました。

 五野井氏からは、「公共空間の中の芸術を分けるものは何か」という問題提起がなされ、その何かが不足しているアーティストとして蔡國強やChim Pomが挙げられ、他方心を揺さぶるアーティストにはBanksyなどが挙げられました。

 その何かとは、フーコーの述べたパレーシアです。
 パレーシアとは、
1. 「真理」を述べること
2. それに「危険」が伴うこと
3. 危険を顧みず真実を語る「勇気」
の3つの要素から成り立ちます。パレーシアについて詳しくはフーコーによる講義録のこちらをご覧ください。

 つまり、その芸術が自己顕示欲などの自己利益から始まっているればそれは私的な芸術にとどまります。しかし自分の身を危険にさらしてでも訴えたいことがあったならば、それはパレーシアを伴い公共芸術となりうるという見方です。

 さらにフーコーは、パレーシアの精神が市民社会の成立に必要不可欠だと述べています。つまり国家を合理的に運営するためのロゴスと、強者の不正を指摘する弱者の言説を可能にするパレーシアが秩序のために必要であるということです。ならば現代社会における芸術やアーティストの役割も、不愉快な真実を躊躇することなく語ることであり、それによって人間として正しくあるために訴えかけることなのでしょう。


Banksy, ヨルダン側西岸パレスチナの分離壁にて